手記:空想エンジン

児玉太郎
アート
アンカースター一同

Translated by DeepL

私は空想することが好きです。
私にとって、出会う人、出会う企業、出会う事業、さまざま出会いこそが、空想の出発点です。
その空想は大抵の場合、「もっとイケてるそれ」です。
「もっとイケてるその人」、「もっとイケてるその企業」、「もっとイケてるその事業」を空想することが、とにかく楽しいです。

こう言うと、まるで私は、何事でも私のほうが勝っていると過信している人間だと思われるかもしれません。もしくは、何事にも批判的な人間だと思われるかもしれません。でも、違います。
私の空想は、私が持っていない、その能力や実績や資産を持っている、その人や企業になりきり、もっとどうイケてる感じにできるだろうか、を相当リアルに想像してみることです。その空想の中に、私は一切登場しません。

さらに、ほとんどの場合、その空想は誰かに共有するわけでもなく、私の中で完結して終わります。でも、もし聞いてくれる人がいるならば、その相当リアルな想像を、細部に亘るまで、じっくりと説明するのも好きです。
そうして、話しているうちに、ぼやけていた部分の解像度があがっていったり、まだ想像していなかった部分の説明ができるようになったりもします。また、新しい情報が入ってきて、空想を土台から組み立て直すこともします。例えば、その企業の歴史をより知ることで、全く異なる空想が広がってくることもあります。
私の中で、この空想プロセスは、まるでエンジンが音を立てて回っているかのような感覚で動いています。小さいけどなかなかの高性能で、あまり休まずとも動き続ける。空想エンジンです。

「もっとイケてるそれ」について、もう少し説明します。
一昨年の話なのですが、私があるビジネスオーナーさんとお話ししていた時です。そのビジネスオーナーさんは、もう大分お年を召していて、あまり新しい事をしたいわけではないのでしょう。でも、私はその人に対して、求められてもいないのに、例えば、こんな新しい事業をはじめたらどうか、とか、こんな協業をしたら面白い、とか、たくさんアイデアをぶつけていました。

それをずっと側から静観していた社員に、「太郎さんの話、ほぼ通じていなかったですね。なぜそんなに、あの人に期待するんですか?もう変わらないし、普通なら諦めますよ」と言われました。
この問いがきっかけになって、なぜ私はそんなに人に期待するのか、なぜその人を諦めないのか、について、みんなで真剣に研究してみることになりました。1年以上にわたって、相当な議論や整理を繰り返しました。その結果、なかなか面白いことが起きていることがわかってきました。

こんな新しい事業をはじめたらどうか、とか、こんな協業をしたら面白い、というアイデアが、空想エンジンからどんどん溢れてくる、のは実際そうです。でも、なぜそれを、このビジネスオーナーさんに懲りずに説明しようとするのか、なかなか会話が成り立たなくても、なぜ諦めないのか。

それは「もっとイケてるその人」が私の頭の中に生まれてしまうから。

私の空想エンジンが、目の前の人を「もっとイケてる人」にして、私はその、私が生み出した「もっとイケてる人」と話しているのでした。
これを社内でじっくり説明したら、それはすごい、と苦笑されました。

それも、私の空想エンジンは、「それ」がどんなにすでにイケていても、どうしたら「もっとイケてるそれ」を想像できるか、に挑戦しているようなのです。美しいそれは、さらに美しく。でかいそれは、さらにでかく。

とにかく、私の頭の中には、もっとイケてるビジネスオーナーさんがいて、その、もっとイケてるビジネスオーナーさんは、私と新しい事業や協業の話が、好きなのです…少なくとも、私の頭の中では。
私はこの空想エンジンを、人や、企業や、事業をテーマに、ぶんぶん回すのが好きなのです。としか言いようがありません。
そして、今は奇跡的に、仲間たちとみなさまのおかげで、この空想エンジンをぶん回すことが私の仕事になっているのは、幸せ極まりないことです。

さて、私の空想エンジンについて、説明してみました。いかがでしたでしょうか。こんな変な話、つまらないかもしれませんが、私の中には「もっとイケてるみなさま」がいますので、きっと少しは楽しみながら、ここまで読み進めてくれている事を想像しているところです。おめでたいことですね。

ここからは、その空想エンジンが、私の中で、幼少期からどう組み立てられていったのか、についても考えてみましたので、もう少しだけ。

みなさまには、子供の頃に読んだのに、大人になってからも、その影響を受けている感覚が続いている本はありますか。私には「はてしない物語」(ミヒャエル・エンデ作、岩波書店)という、あかがね色の本があります。
主人公は、太ってて臆病者で、空想好きな少年、バスチアン。この物語は、バスチアンが古本屋さんから「はてしない物語」という、あかがね色の本を盗むところから、はじまります。

そう、この本はとても凝った仕組みになってます。
今風に言うと、インセプションやマトリックスみたいな感じでしょうか。
僕(少年太郎)が読んでいる「はてしない物語」は、(虚無が広がり、無くなりそうになっているファンタージエン国を救う方法を探す使者アトレーユの冒険である)「はてしない物語」という本を読んでいる、バスチアンを描写している本なのです。

今にも消滅しそうになっている世界を救おうとするアトレーユの奮闘にドキドキしながら、頭から毛布をかぶって「はてしない物語」を先へ読み進めるバスチアン。を、「はてしない物語」で読む僕。

バスチアンは時を忘れて、どんどんファンタージエン国の中に入り込んでいきます。しかし、一時間ごとにどこかで鳴る塔の鐘の音などのせいで、たまに現実世界に引き戻されます。そのたびに、バスチアンはまるで、自分がファンタージエン国から本当に戻ってきたかのような、不思議な感覚になっていきます。
そして、僕も、まるで、自分がファンタージエン国の中から戻ってきたかのような、バスチアンと同じ、不思議な感覚になっていきます。

ファンタージエン国に必要なのは、女王さまに新しい名前をつけることだということを突き止めた使者アトレーユ。しかし、虚無に飲み込まれそうになっていて、空想力を失っているファンタージエン国の住民たちには、女王さまに新しい名前をつけることができません。
救世主を探して冒険を続けていた使者アトレーユは、ついに見つけた、真相を映し出す、魔法の鏡の門を見ます。鏡に映ったのは、太った少年が、毛布にくるまって本を読んでいるところ…なんと、バスチアンが映っているのです。
そう、新しい名前を考えるのは、空想好きのバスチアンにとって、最も得意とすること。虚無と戦える、空想の力を持っているのは、バスチアンだったのです。

これは、ぼくじゃないか!まさかの展開に、怖くなって本を閉じてしまうバスチアン。
まったく同じように、怖くなって、本を閉じてしまう僕。
この、読む人を本の中に引きずり込む、特別な魔法がかかっている「はてしない物語」に導かれて、僕は、アトレーユの待つ、ファンタージエン国へ、冒険の旅に向かうことになるのです。

この、「はてしない物語」からはじまった僕の冒険はファンタージエン国にとどまらず、ドルアーガでは恐怖の悪魔が待つ塔を登り、ハイドライドでは街を襲う怪物を蹴散らし、ドラゴンクエストでは灼熱の炎を吐くドラゴンとの決闘に臨みます。当時のテレビゲームは、ドット絵の組み合わせのような低解像度のものでしたが、僕はあふれる想像力でその世界を風船のように膨らましては、地平線の先まで、空想の世界を広げていくことができました。
これが、私の空想エンジンが組み立てられて、動きはじめたときの様子です。伝わりますでしょうか。

だいぶ長くなりましたが、最後に、私が生涯、ずっとやり続けられたらいいなと思っていることを書き残して終わりにしようと思います。
私がいままでも、これからも、ずっと続けていきたいこと、それは「もっと想像(Envision More)する」ことです。空想エンジンをもっと吹かして、いまさっき自分が想像したことをさらに超える想像をすること、にこれからも挑戦していきます。そして、そのイケてる空想を、なるべくリアルに細部まで、みなさまにお伝えしていきたいと思っています。

『海底二万里』や『八十日間世界一周』『月世界旅行』の著者で、サイエンス・フィクションの父と言われるフランスの小説家、ジュール・ヴェルヌは「人が想像できることは、必ず人が実現できる」という言葉を19世紀に残しています。実際、ヴェルヌが想像することができた多くのことは、21世紀現在、ほぼ実現しています。
「想像」を辞書で引くと「現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと」(出典:デジタル大辞典、小学館)とあります。しかし、ヴェルヌに言わせてみれば、想像とは「未来の歴史を思い描くこと」です。

私の空想エンジンがみなさまの「はてしない物語」を見つけるきっかけになって、それがさらに「未来の歴史を思い描く」お手伝いになったら、どれだけ素晴らしいことでしょう。

ここまで読んでいただいて、とても嬉しいです。
ありがとうございました。

2022年1月

Envision More
児玉太郎