手記:Envision More

編集・テキスト
児玉太郎
アート
Carina Rosemary

初めて会う人に「アンカースターとはなんなのか」をちゃんと説明しようとすると、どうしても30分位かかります。

その30分は特に大変なわけではなく、単に順を追ってちゃんとお話すると、そのくらいの時間がかかる、というだけです。
初対面の方で、頂いている時間が1時間しかない場合、私の話で30分使ってしまうので、本題に割ける時間は残りの30分しかありません。

その説明をより効率化させるために、アンカースターのウェブサイトをしっかりと作り込んで会社説明をしたり、完璧な会社紹介プレゼンを作ったりしてみようと試みたこともあります。でも、上手くできません。アンカースターのウェブサイトは「疑似体験」というブログ記事が並ぶだけの、ひねくれた会社みたいな感じになっています。現段階における「アンカースターとはなんなのか」を表現する方法を模索し続けた結果がこれなのです。

どうしたらもっと上手に「アンカースターとはなんなのか」をまとめることができるのでしょうか。

皆さまからアドバイスを頂くためにも、まずは、私が普段どうやって「アンカースターとはなんなのか」を説明しているのかを、せめて文章にしてみようと思います。この手記をここまで読んでいただけているということは、アンカースターに少しは興味を持っていただいている、もしくは何らかの関わりを持っていただいている皆さまだと思います。であれば、いちおう最後まで読んでいただける前提で、「アンカースターとはなんなのか〜2024年1月時点のバージョン〜」にチャレンジしてみようと思います。お付き合いいただければ幸いです。

普段「アンカースターとはなんなのか」についてお話させていただく際には、私の生い立ちや、前職での経験談から入っていきます。

私は横須賀生まれで、生粋の日本人ですが、両親の海外生活願望のおかげで、小中高はロサンゼルス育ちです。金銭的に余裕がなくて大学には行かず、帰国後、高卒にもかかわらず入社させていただいたのは、ヤフー株式会社(以下、ヤフー)です。当時の社員数は100名くらいで、私の社員番号は156番。1999年11月のことです。

今ではもちろん、誰でも知っているYahoo! JAPANを運営するヤフーですが、20世紀はまだプロバイダー接続がピーヒョロヒョロのインターネット黎明期(わからない方は、スルーしてください)です。単に、米国版のYahoo!を以前から使っていて、日本にもヤフーあるんだ、程度の軽い気持ちでYahoo! JAPANのトップページにあった「経験者採用」をクリック。

引越業や販売応援、イベントスタッフなどの日雇いバイトの日々を送っていた22歳で、世の中のことを全くなにも知らない私は、一切の準備もせず、履歴書もなにも持たずにヤフーの面接へ。半ば勢いで、丁稚奉公(今で言う、インターンでしょうか)的に採用いただきました。と、サラッと言うのは簡単なのですが、想像してみてください。経験もない、日本語も怪しい、履歴書もない、日焼けロン毛(でした)を、どうして採用できるのでしょうか。のちに、井上さん(私を採用した社長)に聞いたら「輝いてみえた」とのことでした。本当にありがとうございます。

ヤフーでは、企画という職種で、つまりは新しいサービスを想像して、仕組みを考えて、エンジニアやデザイナーと一緒に作って、世の中に出して、ユーザーの反応をみて、もっと使っていただく方法を考えて、改善して、みたいな仕事をしていました。とにかく若いので、自分は仕事ができるのか、できないのか、ということを考えたりすることも一切なく、やる気と生意気でできていました。感覚としては、毎日、昼から(すみません)朝まで働いていました。

ヤフーで経験させていただいた10年間で得たもの、は本当に大きかった、と思っています。

特に「企画」という仕事をやらせていただいたということ。今でも残っているサービスも、もうクローズしてしまったサービスもありますが、とにかく色々想像して、考えて、企画して、計画して、開発して、それを世の中に出した。何度も何度も。それを、Yahoo! JAPANという巨大ブランド(もちろん、当時はブランドの意味はよくわかっていない)のおかげで、何十万、何百万というユーザーの皆様に使っていただいた。

私の中で「新しいもの」は、「想像して、考えて、企画して、作ることができるのだ」という「当たり前」(かっこよく言うと価値観)ができあがりました。大人になってから知るのですが、実は「新しいものを作りまくる仕事」というのは、なかなか珍しいというか、貴重なんですね。ありがたいことです。

この、「想像は形にすることができる、そして、それは楽しいことなのだ」という実体験は、後に、アンカースターでも活動の中心になっていきます。

ヤフーで働いた10年のうち、後半の数年は、SNS黎明期。mixiやTwitterが出てきて、どことなく「新しいインターネット」の予感がしてきたころ。私はYahoo! JAPAN x SNSを考える部署にいました。そんなときに、当時まだベンチャー企業の米Facebook社と出会います。詳細は割愛しますが、色々あって、Facebookのシリコンバレー本社に遊びに行くことになりました。そして、Facebook Japan設立に第一号社員として携わることになりました。余談ですが、相変わらず無知な私は、このシリコンバレー訪問が「面接」だとは思っていなくて、また履歴書なしで採用されてしまいました。

今こそ誰もが知るFacebookですが、インターネットは匿名が当たり前の時代です。しかし、Yahoo!の時と同様、すでに米国版のFacebookを使い込んでいた私は、実名で使うインターネットの可能性に興奮していました。Facebookが存在しない日本はありえない、とばかりに、やる気は超満々。とはいえ、実名SNSは絶対に日本では流行らないし定着しない、とあまりに色々な人に言われたので「誰もが知ってる日本企業とのパートナーシップを通じて信頼を得る作戦」に全振りします。これが本当にかけがえのない経験になりました。

Facebookのような世界で一つのプラットフォームを構築しようとしているグローバル・テクノロジー企業と、主に日本向けのビジネスを展開している日本企業の間にパートナーシップを成立させようとするとき、お互いが望んでいることを上手にしっかりと噛み合わせるのは、とても難易度が高いこと。からくり時計のように、複雑な機構の組み合わせが、せっかく気持ちよく動作しているところに、海外企業とのパートナーシップという「新しいパーツ」を組み込まなければならない感じです。

最初は、Facebookもパートナー先の日本企業も半信半疑で「できるのかな、こんなこと」みたいな、どちらかといえば大変な想像しかできないところからはじまるのですが、何度も打ち合わせを繰り返して、シリアスな話もカジュアルな話もたくさんして、パートナーシップ契約のたたきができてきて、とやっているうちに、少しずつ、想像が現実になっていく。私は、企業というか、組織のすごさ、大人のすごさ(当時の私はまだ30代前半)に圧倒され続けました。大切な時計を壊すことなく、その「新しいパーツ」をいい感じに組み込むためにはどうしたらいいのか。たくさん想像して、企画して、計画して、社内を通して、必要なら予算を確保して、グググと既存の機構を動かして、そのパーツを組み込むためのスペースを作る。パーツを入れたら、動作テストして、油を注して、その新しいパーツは、気持ちよくちゃんと機能しはじめる。

ヤフーでサービスの企画し、開発をしていたのとは、全く異なるようで、でも、想像を現実にするというところは、全く同じで。なにもしなければ、交わることのなさそうな異なる目的と価値観を持つ2つの組織が、一切なにもないところから、お互いの想像を共有しあい、少しずつそれを重ね合わせていくことで、共通の目標の解像度が上がってきて、その目標に向かって、大きな組織が進路を調整し進んでいく。そんなことを、一度や二度ではなく、何度も経験しました。単純に、とてつもなく大きなものが動くと圧巻で、心が揺さぶられます。

たくさんの皆さまのお力添えをいただいて、Facebookは日本でも、2,000万人以上のユーザに使っていただけるサービスに成長します。私にとっては、2010年から2014年と、ヤフーと比べたら短い期間でしたが、実に密度の濃い経験をさせていただきました。成し遂げた感とともに、2014年4月にFacebookを自主退社しました。

Facebook退社してから、2015年11月にアンカースター株式会社を設立するまでの間、私は1年強の休憩をいただくことになります。ここでやっと、私ははじめて、自分はなにができて、なにがしたいのか、を考えてみたり、そもそも次にどんな可能性があるのかを調べたりする時間ができました。本来は20代に悶々と悩むようなことを、30代後半になってやっと、考えはじめたことになります。

私には、キャリア願望や、実現したい夢があったわけではありません。ヤフーやFacebookで熱心に働いていたのは、単に仕事が本当に楽しかったから、なだけでした。仕事を苦痛だと思ったことは一度もなかったし、むしろ、夢中でやっていると、あっという間に夜になります。まだまだ元気が余っているときは、始発まで仕事をしました。私はいったい、なにをそんなに楽しんでいたのか、なににそんなに熱心になっていたのか。

そんなことを、特に時間制限もなかったので、ゆっくり1年かけて考えていたら、いつの間にか、私は毎回、同じ様な場所を頭の中で行ったりきたりするようになっていました。私には、軸というか芯というか、原点というか、ホームベースみたいな場所というか、ブレないなにか、が存在する気がしてきました。それは、きっと私のパーソナル・ミッションであり、「私がやるべきこと」なのかもしれない、という考えに辿り着きます。

私は、私たちの「もっと想像する(Envision More)」を、もたらしたい。(のかもしれない)

ちょっと日本語が変ですが、ご容赦ください。これが一番しっくり来ます。

「海外から、日本にはまだないインターネット・サービスを輸入してくる」こと自体には、特にワクワクしないのです。そうではなくて、「知ることで、もっと想像がひろがる」ことが、なにより大切だと思っていました。Yahoo!のような、世界標準のサービスが日本では普及しなくて、その結果、私たちの未来を想像する力が、世界と比べて劣ってしまう、ということが、私はどうしても嫌でした。Facebookも同じで、グローバルSNSが日本で使えなかったら、日本はインターネット上でも島国化してしまう、と危機感を募らせていました。

そんなこんなで、アンカースターができました。アンカースターは、私のパーソナル・ミッションを、そのまま活動としているチームです。

「もっと想像する(Envision More)」

具体的には、アンカースターの活動を知っていただくと、わかっていただけると思います。

まず、アンカースターを起業するとき、真っ先にやってみたかったこと。それは、私がFacebookで身をもって体験した「開放的でクリエイティブなワークスペース(オフィス)で世界中の人々がイキイキと仕事をしている」の実現です。Facebookの時に一緒に仕事をした空間デザイナーとともに、主に海外企業向けのコワーキング・スペースとして、Anchorstar Loungeを想像・企画・開発し、営業開始しました。

当初の事業計画は、上記のコワーキング・スペースの営業収入以外に、これも、私がFacebookで体験した「企業内ヘッドハンターによる採用活動(ダイレクト・リクルーティング)」という、多くのグローバル企業では常識になりつつある採用手法の日本導入。私の力不足で、どこからはじめたら良いのかわからずいったん挫折しましたが、今でもいつかやってみたいことの一つです。

その後、様々なグローバル企業の日本進出支援をしながら、グローバル企業におけるリーダーシップの考え方が日本とは大きく異なることや、経営管理もKPIツリーパーパスドリブンなど、常に新しい手法を取り入れていることを知ることに。これらのニュー・アイデアを、日本企業の経営者に紹介する事業を、経営コンサルティングファームからジョインしてくれたアンディとともに開発しました。

グローバル企業では重要な組織構築手法であるオフサイトの導入支援や、世界で活躍するYouTuberを研究しながら、動画配信スタジオの導入、これらをともに経験する、大手企業からの出向の受け入れなどにもチャレンジしてきました。

アンカースターの想像の源泉は、とにかく海外出張に行って、知らないことにたくさん触れてくること。ニューヨークロンドンカンヌシドニーなど、常に「誰かがどこかに行っている状態」をどうやったら作れるのか、を研究しているところです。

様々なテクノロジーも使ってみなければなりません。ChatGPTを試してみたり、世界水準のUXデザインの教育プログラムを受講したり。また、歴史的なテクノロジーとでも言うのでしょうか、当時は最新だった手法にも敬意をはらい、様々な印刷手法を用いた年賀状制作に毎年挑戦していますし、出向社員にはZine制作を通じて、製本や印刷技術を体験してもらっています。

2022年からは、世界を知るにはどうしても言語の壁を突破する必要があると考え、外国人の雇用を通じて、企業向けの英会話事業であるAnchorstar Englishを開始。試行錯誤を繰り返しながら、独自プログラムの企画・開発を行いつつ、企業にGlobal Communicatorを導入する試みに発展しています。

これらの活動は、一見ランダムに感じられるかもしれません。活動間の関連性も明確ではないし、持続性があるとは到底言えません。でも、私の中ではちゃんと、

「もっと想像する(Envision More)」

に接続されてますし、それが「アンカースターとはなんなのか」なのです。アンカースターのウェブサイトに「疑似体験」が並んでいる理由は、それらがアンカースターそのものだからです。

本当にここまで読んでいただいたのであれば、大変お疲れさまでした。心から感謝いたします。いかがでしたでしょうか?もし、「アンカースターとはなんなのか」を表現する方法のアドバイスなどございましたら、是非ご連絡ください。

フランスのSF作家であるジュール・ヴェルヌは、「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」と言いました。150年も前に彼が想像したSF作品に登場する技術の多くは、実際に今では実現しています。

「想像できれば、実現できる」上で、最も大事なのは「想像できる」ことです。

私の活動が、誰かにとって新たな想像の源泉になり、そしてその想像が、素晴らしい形でこの世に実現する。
そして、もしかしたら、のちに「ありがとう」と言っていただけるかもしれない。

そんな活動を、これからも続けていきます。

Envision More

2024年1月

アンカースター
児玉太郎

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